ぼくとぎんふりつ(終編)
はい。いよいよ読む方も書く方もめんどくさくなってきたと思うけど。
これで終わりなのでどうか最後までお付き合いください。
2014年に関してだけど、私視点では今度こそ本当に書くことがないです。
書きたい人が居たら別視点でもお願いします。
遊びとしてはLoVばっかやってた。最高ヴァミBまでいったよいぇーい。
大会はちょっとずつ出たけど公認は一切出てないし、遠征も全然出てないし、環境やカードプールに関しても殆どわからないままだし。
今迄あんま壇上あがってなかったうれさんとかが勝ってるの見てめでてぇなぁ…とか思ってたり、時期相当飛ぶけど湊さんの優勝とかもめでてぇなぁと思いながら見てたり。
軽井沢旅行に関しては一応行ったから多少言えることあるけど、最近のことだしそもそも銀符本当に関係ない思い出だからなぁ…といった感じで。うれさんと飛燕さんのテンションが異常に高かったのは記憶に新しい。
思い出、というか事件だけどあの名古屋遠征に関しては本当に不幸中の幸いだったなぁと。以前の遠征で数名がシートベルトを締め忘れて違反食らった教訓が生かされてしまった事態。流石にあのレベルだと後になっても部外者は笑い話に出来ないけど、やっぱりアレは奇跡の一種ですよね。
本当に。いや、本当に良かったです。
最後の全国に関しては、その奇跡の生還者ってこともあってしろたくんが上がってくれたのはめでたかったと思います。らじあんはなんかもう最後まで全国覇者になることはないだろうなって感じあったし、正直最後の全国優勝取れる役者殆どいねぇよなぁと思ってたから、銀符後期を大いに盛り上げてくれた存在として良いポジションに収まってくれたのではないでしょうか。じゃんけん大会出来なかったことに関しては同情する。
まあ、ざっと言ってしまえばそんな感じで。
なので、2014年に項目立てて語るような思い出はこれだけです。
☆汁鰤、活動停止発表の日
その夜の私はというと、くろいひとと京都旅行へ出発した時でした。
いやぁ…あの時ほどスマホの電池残ってて良かったと思った時はないね。
消灯後の暗いバスの中でひたすら放送繋いでピコピコやってた。
確かうれさんだっけ? の発表発見タイミングも絶妙で。
いやなんかもう。本当にお祭り騒ぎだったよね。
追悼放送が立って、皆で思い出話して。騒ぎに騒いで。
祭りの匂いを聞きつけてやってきたテラさんのテンションがやばくてクソ面白くて。
私はもう殆どゲームから離れてたから、「なくなっちゃうのやだ!」みたいな感覚はもうはっきり言って全くなかったんだけど、それにしてもまあ…感慨ひとしおって奴だった。
自分がリアルタイムでがっつり遊んだゲームの、その始まりから終わりまでを全部眺められたんだなぁと思うと、自然としんみりして笑いが止まらなかったというか。
私の人生経験では上手く表現できない。「感傷にひたる」ってのはこういうことを言うんだろうなぁとは思ったけど、「見届けられた」ことがちょっと嬉しくもあったし、汁鰤に対して感謝の気持ちみたいなものが悲しみよりも先に出てきた。兎に角その夜は大騒ぎで、久しぶりに心から笑ってスッキリした気分になったなぁ。
このままなくなったらちょっとは悲しくなるのかな。
どうなんだろうね。
私はこの夜を当分忘れないと思うよ。
☆総括:銀符律というゲームに対して思うこと
まとめきれるか! まとめきれないからこんな長い回想書いたんだろ!
銀符律を始めてからの4年間をこうして綴ってきたわけだけど、本当に色んな事があった4年間だったとは思う。真面目にやってたタイミングでは大会で負けてすげー悔しかった記憶とか、今となっては完全に笑い話のなんちゃら二等兵事件とか、まあ微妙な思いだって勿論あったわけだけど、それを差し引いて余りある楽しい時間だったと思います。本当に、感慨深い。語彙力が足りねぇ。
ゲームとしては。
雪月花と、5弾月単に出会えたのが本当に幸運でした。
特に5弾月単はそうそう出来るゲームじゃなかったと思う。私の性格に驚くほどフィットしてて、あのデッキを楽しく回していた時期がやはり私の中では絶頂期だったと今でも感じてる。
入賞のことで言えば、やっぱりチーム戦優勝が一番報われた瞬間だったかな。
こういうゲームでは最高に愉悦だと思う。
個人優勝3回(名古屋、東京、名古屋)、個人準優勝3回(東京、全国、全国)。
チーム戦優勝1回。
まあ完全に自慢だけど、これだけ出来れば満足です。
やっぱり対人ゲーは大好きだし、戦績が残れば嬉しいので。
たくさん勝てて良かったなぁ。(小学生並みの感想)
コミュニティとしては。
私本人が一番びっくりしています。
多分誇張でもなんでもなく有名(笑)になって、最大コミュニティに入れてもらって。
これだけ遊ばせてもらえるとは思えなかったし、今でもちょっと信じられない。
この一大コミュニティの足がかりを作った養蚕や、中心人物になったらじあんをはじめ、暖かく迎えてくれた面々には本当に感謝しています。
反省として、私はもうちょっとコミュニティに貢献するべきだったなぁとは今ちょっと思う。貢献の意味とか方法はなんでもいいけど、何かしら出来る事があったんじゃないかなとは思わなくもない。
まあそれはさておき。
頭が上がらない、という意味ではやはり横浜の皆様ですね。
ここの環境がなければそもそもこのゲームで色んな人と仲良くなろうと思わなかっただろうし、楽しい思い出と言われて自然に蘇るのは、今でもドラフト後のマイアミガーデンでパスタ食ってるシーンです。当時は特別楽しかった。
ジャッジとかに聞けば、ここまでの話を「軟骨くんの人徳もあるよ」なんて優しくしてくれそうな気もしますが、やっぱり恵まれていたと思います。
大きな波に巻き込まれたのは間違いないけれど、そのきっかけ自体は私が選んだものであるし、今は自分の「積極的に巻き込まれた」勇気を少しは評価してあげたいと思っています。
だって、このゲームで出来た友人50人越えてるでしょ。
やっぱ相当だと思うもん。
ひーろまんがこの前同じようなことを言っていたけれど、私もこのゲームやコミュニティに良い影響を与えて、誰かの記憶に残る存在になれていたならそれ程嬉しい事はありません。「銀符律」という枠組みはほぼ解散に近いけど、今後も機会があれば色んな事で遊べたら良いなと思っています。
今後は正直どう動くか分からないけど。
取り敢えずちゃんと社会人になれるように頑張ります。
シルバーブリッツについて。
いろんな部分でクソだと思ってたし今も思ってるし、特にマーケティングが残念過ぎると思ったけど、ゲームデザインとしては好きだったし良いゲームだったと思います。
楽しいカードゲームを作ってくれてありがとうございました。
天子の能力名の誤植は一生許しません。
はい。
ここまで、私なりの東方銀符律への追悼とさせていただきたいと思います。
こんな字の洪水(18,000字強)に付き合ってくれた読者の方にも感謝を。
それでは皆様、良いお年を。また会いましょう。
これで終わりなのでどうか最後までお付き合いください。
2014年に関してだけど、私視点では今度こそ本当に書くことがないです。
書きたい人が居たら別視点でもお願いします。
遊びとしてはLoVばっかやってた。最高ヴァミBまでいったよいぇーい。
大会はちょっとずつ出たけど公認は一切出てないし、遠征も全然出てないし、環境やカードプールに関しても殆どわからないままだし。
今迄あんま壇上あがってなかったうれさんとかが勝ってるの見てめでてぇなぁ…とか思ってたり、時期相当飛ぶけど湊さんの優勝とかもめでてぇなぁと思いながら見てたり。
軽井沢旅行に関しては一応行ったから多少言えることあるけど、最近のことだしそもそも銀符本当に関係ない思い出だからなぁ…といった感じで。うれさんと飛燕さんのテンションが異常に高かったのは記憶に新しい。
思い出、というか事件だけどあの名古屋遠征に関しては本当に不幸中の幸いだったなぁと。以前の遠征で数名がシートベルトを締め忘れて違反食らった教訓が生かされてしまった事態。流石にあのレベルだと後になっても部外者は笑い話に出来ないけど、やっぱりアレは奇跡の一種ですよね。
本当に。いや、本当に良かったです。
最後の全国に関しては、その奇跡の生還者ってこともあってしろたくんが上がってくれたのはめでたかったと思います。らじあんはなんかもう最後まで全国覇者になることはないだろうなって感じあったし、正直最後の全国優勝取れる役者殆どいねぇよなぁと思ってたから、銀符後期を大いに盛り上げてくれた存在として良いポジションに収まってくれたのではないでしょうか。じゃんけん大会出来なかったことに関しては同情する。
まあ、ざっと言ってしまえばそんな感じで。
なので、2014年に項目立てて語るような思い出はこれだけです。
☆汁鰤、活動停止発表の日
その夜の私はというと、くろいひとと京都旅行へ出発した時でした。
いやぁ…あの時ほどスマホの電池残ってて良かったと思った時はないね。
消灯後の暗いバスの中でひたすら放送繋いでピコピコやってた。
確かうれさんだっけ? の発表発見タイミングも絶妙で。
いやなんかもう。本当にお祭り騒ぎだったよね。
追悼放送が立って、皆で思い出話して。騒ぎに騒いで。
祭りの匂いを聞きつけてやってきたテラさんのテンションがやばくてクソ面白くて。
私はもう殆どゲームから離れてたから、「なくなっちゃうのやだ!」みたいな感覚はもうはっきり言って全くなかったんだけど、それにしてもまあ…感慨ひとしおって奴だった。
自分がリアルタイムでがっつり遊んだゲームの、その始まりから終わりまでを全部眺められたんだなぁと思うと、自然としんみりして笑いが止まらなかったというか。
私の人生経験では上手く表現できない。「感傷にひたる」ってのはこういうことを言うんだろうなぁとは思ったけど、「見届けられた」ことがちょっと嬉しくもあったし、汁鰤に対して感謝の気持ちみたいなものが悲しみよりも先に出てきた。兎に角その夜は大騒ぎで、久しぶりに心から笑ってスッキリした気分になったなぁ。
このままなくなったらちょっとは悲しくなるのかな。
どうなんだろうね。
私はこの夜を当分忘れないと思うよ。
☆総括:銀符律というゲームに対して思うこと
まとめきれるか! まとめきれないからこんな長い回想書いたんだろ!
銀符律を始めてからの4年間をこうして綴ってきたわけだけど、本当に色んな事があった4年間だったとは思う。真面目にやってたタイミングでは大会で負けてすげー悔しかった記憶とか、今となっては完全に笑い話のなんちゃら二等兵事件とか、まあ微妙な思いだって勿論あったわけだけど、それを差し引いて余りある楽しい時間だったと思います。本当に、感慨深い。語彙力が足りねぇ。
ゲームとしては。
雪月花と、5弾月単に出会えたのが本当に幸運でした。
特に5弾月単はそうそう出来るゲームじゃなかったと思う。私の性格に驚くほどフィットしてて、あのデッキを楽しく回していた時期がやはり私の中では絶頂期だったと今でも感じてる。
入賞のことで言えば、やっぱりチーム戦優勝が一番報われた瞬間だったかな。
こういうゲームでは最高に愉悦だと思う。
個人優勝3回(名古屋、東京、名古屋)、個人準優勝3回(東京、全国、全国)。
チーム戦優勝1回。
まあ完全に自慢だけど、これだけ出来れば満足です。
やっぱり対人ゲーは大好きだし、戦績が残れば嬉しいので。
たくさん勝てて良かったなぁ。(小学生並みの感想)
コミュニティとしては。
私本人が一番びっくりしています。
多分誇張でもなんでもなく有名(笑)になって、最大コミュニティに入れてもらって。
これだけ遊ばせてもらえるとは思えなかったし、今でもちょっと信じられない。
この一大コミュニティの足がかりを作った養蚕や、中心人物になったらじあんをはじめ、暖かく迎えてくれた面々には本当に感謝しています。
反省として、私はもうちょっとコミュニティに貢献するべきだったなぁとは今ちょっと思う。貢献の意味とか方法はなんでもいいけど、何かしら出来る事があったんじゃないかなとは思わなくもない。
まあそれはさておき。
頭が上がらない、という意味ではやはり横浜の皆様ですね。
ここの環境がなければそもそもこのゲームで色んな人と仲良くなろうと思わなかっただろうし、楽しい思い出と言われて自然に蘇るのは、今でもドラフト後のマイアミガーデンでパスタ食ってるシーンです。当時は特別楽しかった。
ジャッジとかに聞けば、ここまでの話を「軟骨くんの人徳もあるよ」なんて優しくしてくれそうな気もしますが、やっぱり恵まれていたと思います。
大きな波に巻き込まれたのは間違いないけれど、そのきっかけ自体は私が選んだものであるし、今は自分の「積極的に巻き込まれた」勇気を少しは評価してあげたいと思っています。
だって、このゲームで出来た友人50人越えてるでしょ。
やっぱ相当だと思うもん。
ひーろまんがこの前同じようなことを言っていたけれど、私もこのゲームやコミュニティに良い影響を与えて、誰かの記憶に残る存在になれていたならそれ程嬉しい事はありません。「銀符律」という枠組みはほぼ解散に近いけど、今後も機会があれば色んな事で遊べたら良いなと思っています。
今後は正直どう動くか分からないけど。
取り敢えずちゃんと社会人になれるように頑張ります。
シルバーブリッツについて。
いろんな部分でクソだと思ってたし今も思ってるし、特にマーケティングが残念過ぎると思ったけど、ゲームデザインとしては好きだったし良いゲームだったと思います。
楽しいカードゲームを作ってくれてありがとうございました。
天子の能力名の誤植は一生許しません。
はい。
ここまで、私なりの東方銀符律への追悼とさせていただきたいと思います。
こんな字の洪水(18,000字強)に付き合ってくれた読者の方にも感謝を。
それでは皆様、良いお年を。また会いましょう。
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